東京尚歯会


東京尚歯会

   日歯連盟の活動に各都道府県にて「デンタルミーティング」と称する地元国会議員と都道府県連盟との協議会の設立及び活動を薦めています。そこで、 2007年9月、 都歯連盟としては日歯連盟とも密な連絡をとりつつ、若手議員とのチームを作り、我々が直面している問題解決に向け、また大都市東京での歯科医療の現状を説明しつつ理解をし、国会において対応してもらおうと企画しました。
   チーフには自民党内に設立されている、歯科医療問題を専門に議論する正式な機関の部会である歯科医療プロジェクトチーム(PT)の主査の井上信治衆議院議員(東京25区)、同じく幹事に木原誠二衆議院議員(東京20区)が就任し、その他約10名の議員で構成されております。


尚歯会とは?

   江戸時代後期に蘭学、儒学者など幅広い分野の学者・技術者・官僚などが集まって発足したサロンであり頭脳集団(シンクタンク)の名称。主宰は遠藤勝助。当初は天保の大飢饉など、相次ぐ飢饉対策を講ずるために結成したといわれる。従来の通説では西洋の学問を中心にした集まりとされたが、主宰の勝助は儒学者であり、より幅の広い集団であったようである。
   鎖国下の当時、西洋の学問はある程度緩和されているとはいえ、幕府によって制限が設けられていた。そのため表向きには『歯を大切にする』という意味の『尚歯』を会の名前に使い、尚歯会と名乗って高齢の隠居者・知恵者やそれを慕う者の集まりとした。
   尚歯会で論議される内容は当時の蘭学の主流であった医学・語学・数学・天文学にとどまらず、政経・国防など多岐にわたった。一時は老中水野忠邦もこの集団に注目し、西洋対策に知恵を借りようと試みていた。しかしこれが災いして、幕府内にいる蘭学を嫌う保守勢力の中心であった鳥居耀蔵によって、謀反の濡れ衣を着せられ解散させられる。主流だった人物は投獄されたが、主宰の勝助は処罰されていない。
   尚歯会そのものは僅かの期間で消滅したが、その思想や遺志は生き残ったメンバーによって伝えられ、幕末の日本において勝海舟などに大きな影響を及ぼすことになる。

(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)



東京尚歯会参加国会議員(順不同・敬称略)

井上 信治 木原 誠二
山田 美樹 辻    清人
石原 宏高 平    将明
越智 隆雄 菅原 一秀
鴨下 一郎 松本 洋平
小田原 潔 小倉 将信